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コントロール不能な俺にレッテルを貼ってくれ!
「鏡」の続き。
そう、今年中盤にトンネルに入ってしまった。
これが10年以上音楽活動をした中で最も長いものになることは、経験上はっきり認識できた。
顕著にスランプ症状が現れている訳ではなかった。
現状ではっきりした原因が見付からず、ただ「このままではいけない」という直感が自分に大きな警告をしていた。
自分のことをしっかり考えないといけないのに、9月に発売する「AUTUMN SESSION...」の制作やプロモーションで、その余裕がなかった。多忙の間に、自分のどこに危惧を感じているのか分析を試みるが、その核心はわからなかった。
何となく、「人と交わる必要」のようなものを思うと癒された。
11/24にApple Store渋谷での「AUTUMN SESSION...」最終ライブを終え、自分のことをゆっくり考え出した矢先に、桑原茂一さんから電話をいただいた。
仕事のご依頼だったが、結果的に1時間程も忠言をいただくことになった。
それは、まさに半年間苛まれた危機感を突くものだった。
普段接触している訳ではないのに、それ程察して下さっているのは愛情以外何ものでもなかろう、と胸が熱くなった。
その電話を切った時、このトンネルの出口は見えなかったが出口の存在をはっきり感じた。
茂一さんに射貫かれた漠然とした危機感とは、「自分でコントロールしようとし過ぎだ」ということだ。
安全な場所で屁理屈を宣うのが厭で、ここ5年誰のサポートもなく自分でレーベルをやってきた。
企画をたて、お金をやりくりし、プロモ方策を考え、アートディレクションをし、付随する煩わしい事務手続きをこなした上で、音楽をつくる。言い訳できないように、自分の意見を全てのプロセスで踏襲したやり方で音楽作品をつくる。
これをこなすのはハードなことだし、最後までやり抜くのは自分に厳しくないとできない。
そこが落とし穴かもしれないが、それだけでは何かを爆発させることはできない、ということに気付かなくなってしまっていたのかもしれない。
音楽制作の時にはよく思うことだが、自分の頭で思い付くことなど何と詰まらないことで、それを少しでも超えた場所にある楽園に辿り着くためにあらゆる手を尽くさなければ、と。
それは、実にあらゆるプロセスに有効な概念だと気付いた。
自分で決めてやろうとしていることの狭さよ。
そのために、愛ある客観性は不可欠だ。
周りを見ると、それを持って自分を見てくれている人が居るじゃないか。
なぜそれを頼ってはいけないんだ。
バーストというのは、自分の予測しない場所で起こるものだと思う。
何の気もなしにやったやっつけ仕事がそうなることもあるし、逆説的に言えば、自分でああしたいこうしたいと決めている限りはそれは起こらないのかもしれない。
自分でやりたいことを実行する、言い換えると、こう見られたいからこれをする/こう見られたくないからこれはしないという決定は、単なる若気ではないか。
なぜなら、それは何かを守ろうとしているからである。
そして、それが守るに値しないものだからだ。
こう思えるようになったのはハードなレーベル運営をやってきたからで、間違った過程だったとは思わない。
これを止めることはないが、最終アウトプットとして終始するのは止める。
このままこれまで通り、自分でコントロールしようとし続けると必ず先細りする、という憂慮が長いトンネルの正体だったのだ。
愛情ある客観性に従った結果、どう見られたって構わない。レッテルを貼られるのが、何が怖いんだ。
来年、敢えて他人の客観性と戦わず従いコントロール不能になることで、新しい自分を爆発させようと思う。
