Waterloo Bridge(哀愁)の真相

2009.09.07 (Monday)

この1940年制作のクラシック映画が、なぜ今僕の心を捉えたのかわからない。

結婚を約束した相手が戦死したという報を受けて錯乱したからにしろ、どうやっても生計が成り立たなかったからにしろ、いかなる理由があったとしても、売笑してしまったことの自責と悔恨が自分の中で雪だるまのように徐々に大きくなり、しまいに自殺してしまう可憐な女性。

というのが、美しい物語の捉え方だろう。
Vivien Leighの印象しか残らない程存在感に溢れる繊細な演技も、ストーリーにしっかり寄り添っている。

僕はちょっと違う風に思った。
彼女を自殺まで追いやった本当の理由は、自分が愛されていないと知ったことだ。

婚約者である将校のあまりに性急な求婚、「顔を忘れていた」という言葉等。
相手にこだわりはなく、誰かとの結婚自体が目的であるかのようだ。

また将校は、戦死したという報を受けて彼女が廃人のようになっている、という情報を母からきいたはずだ。
ならなぜ、「それは誤報で、自分はちゃんと生きているから安心しろ」と彼女に伝えなかったのだろう。
彼女を愛していれば、何としてでもそれを伝えることを最優先したはずだ。

客を取る彼女と偶然戦地から帰った将校が駅で再会した時のちぐはぐな感じは、彼女が娼婦として道行く男に色目を使っていたことを見られて困惑しているからではない。
どうして生きているならそれを教えてくれなかったのだろう、という懐疑から来る戸惑いである。
から元気に振る舞う将校も、白々しく感じられる。
なにかい?ここで偶然会わなかったらそれまでだったの?結婚の約束はそんなものだったの?と。

ダンサーである彼女に対する将校の身内の冷ややかな差別もしっかりガードしきれていない印象もある。

行方不明になった彼女を探す将校の、彼女はもうどうしても見付からないだろう、という諦め。

そういう、愛されていないかもという疑問を膨らませる材料がそれを確信に変えてしまったから彼女は死んだ。
シーンやパワーバランスは少なく、あまりそこら辺に目線が行かないようになっているが、話の本筋はそこだと僕は思った。
そう思うと、本当に不憫で、涙を誘う悲しい話である。

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この映画全編に渡り色を添えているこの曲の優美なワルツヴァージョンを、まだ幸せだった頃のまさにこのシーンの台詞も併せて、アルバムの最後に敬意をこめオマージュとして収録する。

スコットランドのSophieさんに歌ってもらった。
原題「Auld Lang Syne」とは、英語だと「Old Long Since」、日本語だと「久しき昔」。
「my dear」(恋人よりは友人)と、旧交を温める歌詞である。

刻まれた夏

2009.08.25 (Tuesday)

足が付かないプールの中から見た空
廊下のござ、よしず越しの夕日
我慢できず泳いだボウフラだらけのダム湖
戸隠の静謐さ、冷たい水道水、とうもろこし
7-10時の朝練
バンフスプリングスホテル
パラソルの下で間近で見た首筋
河原でのワインボトルラッパ飲み
ハリーのふさふさしたお尻と落雷
トゥールーズの芝生、言葉の不要な共有物


肉体と精神は一体である、とは自分の深部に向き合わない人の弁である。
肉体は常に無意識で安定を目指すのに対して、自分を追求する精神はそれを危険に晒すことを厭わない。
3作も自分の一部を引きちぎるように分身を生み出したはずなのに、まだそこから湧き出る疑問とは一体何なのか。

普段の仕事で培ったはずの技などというものは一切役に立たず、初期衝動と現物の落差に途方に暮れ、次の座標を目指すための足元もおぼつかない。
自己嫌悪が甚だしい陶酔であることも知っているから、それに浸ることもできない。
目的地に最速で到達する手段が、奇抜さではなく正直さであることを知り愕然とする。
それが、自分の本当の姿を追う芸術家の現実である。

斧を振り下ろし続ける4作目の制作過程は、ひとつの刻まれた夏になろう。

さばの湯

2009.08.04 (Tuesday)

友人の須田泰成さんが開店した経堂のさばの湯へ。
銭湯ではなくて、銭湯風!飲み屋(笑)。斬新である。

下北沢のSlow Comedy Factory(スロコメ)に続く2号店。

宝塚から幼馴染みのが来ていて、どうせ飲むなら、と。


番台カウンターでベルギービール(やっぱりOrval)と関西風おでんとたこ焼きおむすび(ソース界のロマネコンティと呼ばれるヘルメスソースを少しかけ)を注文しつつ、ゆったり富士山画を眺めながら食する。

須田さんの風通しの良いオープンな人柄もそのままに、スロコメよりさらにゆるくアットホームで、最高にリラックスした時間を過ごした。

my summer desktop 2

2009.07.30 (Thursday)

アルバム作業でこもりっきりにつき、せめて脳内トリップ。
I'm traveling just in my brain for a concentration on the next album.

よければどうぞ。
For you.

took here in 2006

I can do like this forever + A study of the groove (waltz)

2009.07.28 (Tuesday)


For making melody tone of a scottish tune of the next album.
次作アルバム、スコットランド曲のメロディの音色用。

+


0 133 300...
(quarter note=480)
It’s an old european dance groove.


> go to TOSHIYUKI YASUDA podcast

太郎さんrec、Pecomboライブ

2009.07.19 (Sunday)

アルバム用、New York録音のStringsとバランスを取るために、助川太郎さんにギター系をお願いする。
BanjoとAcoustic Guitar。

あわせて、大物男性歌手プロデュース曲への録音も。
Nylon GuitarとCavaquinhoとBerimbau。

これだけの種類を意図を読み取りつつ一気にできるのは、太郎さんだけだ。
いつも通り、予想以上の演奏をして下さる。

前日マイク/PAなしでやられたホールライブの刺激的な話や、音楽制作全般でお互い思っていることなど、直接話せて楽しかった。


帰り際、ちょうど家の近所でやられていたPecomboのライブへ。

去年後半は「AUTUMN SESSION...」のプロモーションやライブで一心同体だっただけに、客としてはかなり久々。

メンバーチェンジもあり大変だったようだが、明るい空間を作り出すパワーは全然変わらず素晴らしかった。
Accordionの田ノ岡三郎さん、Guitarの中西文彦さん、Percussionの古尾谷悠子さんともお話しし、心地いい夏の夜になった。


ライブ後、店の外でPecoちゃんと撮った写真は、そんな空気を含んでいる。

酔った女性!が、僕のシャツを持って帰ってしまった。
気に入っていたが、しょうがない。
縁あれば戻ってくるだろう。

けしの花 下田洋一

2009.07.18 (Saturday)

いつも通り、1,500m泳ぐ。
アルバムはヴォリュームもあり長丁場なので、体力が落ちては完璧なかたちで完成できない。


東京の純粋な友人(子供時代から生きてきた関西に比べて、東京ではずっと少ない)の一人、イラストレーター下田洋一さんの展覧会オープニングへ。

黒色のバックに黄色のけしの花、という組合せを貫く。
なぜ色んな色がないのかな、と少し考えたがわかった。
小林秀雄の言葉通り、様々な色の花を描くということは「花の美しさ」を描こうとすることになるのだろう。
そうではなく、ただそこにある「美しい花」を描きたい、ということなのだ。
やっぱり下田さん面白いなあ。

7/30(木)まで南青山のWALLにて開催。

rare instrumentations

2009.07.17 (Friday)

昨日、sound cityにてアルバム用レコーディング。


Steel Pan(町田良夫さん)+ Lap Steel Guitar(僕)に、Stringsをダビング。
法常奈緒子さん、浅井眞理さん、日高慶子さん。
ユニットviaecloでもご活躍。
可憐でエモーショナルな波が増幅された。


Robo Vocal(ROBO*BRAZILEIRA)+ Toy Piano(僕)に、Wood Bassをダビング。
藤谷一郎さん。
ユニットunistyleでもご活躍。
熱を秘めた存在感が加わる。

どちらもシンプルかつ珍しい楽器構成だけど、グッと来る作品になりそうである。

my desktop in summer

2009.07.09 (Thursday)

for you

took it here in 2006

日本映画特集

2009.07.06 (Monday)

と言っても、DVDで二本だけ。

新作も話題の西川美和監督「ゆれる」初見

「真実」が、人や見方によって違う、というテーマ。
まして、それを元に近い相手を思いやった結果は、残酷にずれてしまう。

配役がとにかく素晴らしい。
脚本はいいとして、原作は別人のものを撮った方が絶対いいと思う。
他の要素がかなりいいだけに、ストーリー自体にパワーがないのが目立つ。


懐かしい「家族ゲーム」再見

80年代独特の総中産階級的で、危機感もなく閉じたコミューン。
頭を使って自ら考えずとも生きていける、という洗脳。
外部からやって来た男が、それらから来る鬱積する苛立ちを爆発させる名ラストシーン。
8分の長回しはアドリブでなく、リハーサルをしっかりやったものではないかな。
どうなるかわかっているのに、何度観ても面白い。

横並びの食卓は、ディスコミュニケーションの象徴、舞台っぽい演出、というのはあるだろうけど、観ているこちら側と登場人物を対面に座らせている、ということなのではないだろうか。
あなたのとこもこういう食卓でしょ、と他人事でなく観客を映画の中に引っ張り込む効果を森田芳光監督が狙ったものだと思う。

伊丹十三と松田優作、この二人がまだ生きていたら..
松田優作は、タランティーノとかと何かやっていたかもなあ。